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伝統的工芸品

彦根仏壇の歩み

今日における

彦根仏壇の価値や評価は、

一朝一夕で

築かれたものではない

江戸時代中期から

約三百五十年

彦根で育まれた伝統が、

受け継がれてきた

技と想いが、

それらが紡いできた歴史が、

今日の彦根仏壇に

宿っている

彦根仏壇
その起こり

七曲がりに集った職人たち

井伊家35万石の城下町彦根。江戸時代初期、彦根城築城にあたり、城下の多様な需要に応じるため、様々な職人が集められました。中でも武士中心の城下町では、刀や鎧といった、武具や甲冑の塗工や金工の職人も多かったそうです。江戸時代中期、時代が太平の世になるにつれ、仏壇職人に転業する者が増えたことが彦根仏壇の始まりと言われています。

彦根仏壇
発展の特色

特色① 問屋制家内工業での発展

産業として華々しく新町七曲がりに仏壇が登場するのは、幕末の頃だと言われています。

仏壇生産のための技術はすでに彦根城下に揃っていたため、仏壇問屋が生産計画を立て、各職に指示を発し、コーディネートするだけで仏壇製造が可能でした。

有力な問屋を中心に徐々に職人が集まり、家内工業として職人の作業を家族が手伝うことで生産を効率化する手法が確立しました。これにより京仏壇に比べ低廉な価格で多くの支持を集め、彦根の有力な地場産業となりました。

明治維新後、大型の高級品から普及品まで幅広い生産体制をほこり、北は北海道から南は九州まで、全国のさまざまな地方に向けた幅広い販路を持つことになりました。

特色② 彦根仏壇同業組合の成立

明治33年に公布された重要物産同業組合法に則り問屋が結集、39年3月に「彦根仏壇同業組合」が認可されました。品質の維持向上に着目したことが高く評価されたといわれています。統計によると、仏壇の生産高は、明治末期から急速に上昇し、大正7年の好景気を受け、約2倍に達し、黄金時代を迎えたと言われています。

伝統的工芸品
彦根仏壇

「伝統的工芸品」
「地場産業」の彦根仏壇へ

同業組合をはじめとした数々の内部努力の結果、彦根仏壇は健全な発達を遂げていきました。

第二次世界大戦の影響などもあり、彦根仏壇は再び苦難の道に立たされましたが、そんな中において昭和50年には業界で最初の通商産業大臣(現経済産業省)指定の「伝統的工芸品産地指定」を受けることとなり、今日に続く確固たる評価を獲得したことは今日に続く大きな財産のひとつです。

また、彦根にはバルブ、ファンデーション(女性用下着)、そして彦根仏壇の3つの地場産業があります。伝統的工芸品彦根仏壇は、彦根の三大産業の一角として数えられています。